ぬうの話



ぬうは散歩から戻るとまっすぐ台所に駆けつける。
玄関でまず足を拭いて、それからお風呂場で洗う、それからごはん。

そのプロセスは知っているのだけれど、
時には足を拭いてもらうのを忘れて、風呂場に直行する。
ぞうきんをとりにいくのを待ちきれず。
一番気がせいているときは風呂場も通り越して、台所に飛び込む。

全身の意識が鼻に向けられている。
鼻が動く。身体が追う。頭はそのあと。

「あれ、足は?」
と声をかけて風呂場を指さすと、
「あ、そうだった」とやっぱり跳ねるような足取りで風呂場に向かう。

今日は何かを抱えた母が、
「お風呂で待ってて」と声をかけている。

一応散歩の後は風呂場と決まってるから、何をいわれているかわかる。
ぬうは一旦台所を出て、脱衣所に向かうが、誰もいないから、
再び台所を覗き込む。

戻ってきた母が「お風呂、お風呂」といって、脱衣所に向かうと、
母を押しのけるように、脱衣所に駆け込んでいった。

今年14歳になるぬうは人間でいえばいくつだろう。
少なくとも80歳は超えているおばあちゃんだ。
リンパ腫のガンが見つかって、今は抗がん剤をのみ、週一度は病院に通う立派な老犬。

ガンが見つかったのは昨年の10月。早ければ、1ヶ月、もてば半年と言われた。
無事、お正月を迎えられるか。
11月も後半に入った頃、食欲がなくなった。

今まで3分もかからないうちに食べてきっていたご飯をたべなくなった。
ドライフードを変えてみても、2・3日食べたと思ったら、また食べなくなる。
缶詰は食べると喜んだら、これも数日で口をつけなくなった。
大好きだったブロッコリーも、ヨーグルトも食べない。
大サービスして鮭を焼いても、牛肉をやっても、パンにバターをつけてあげても、すぐに食べなくなった。

「もうちょっと、もうちょっとだけね」といいながら、母が注射器にいれた缶詰のフードを口にいれている。注射器をもった母をみると、ぬうはよろよろと逃げた。

「そんなに嫌なの、でももうちょっと頑張って」、母は涙を浮かべんばかりで必死だ。
ぬうはぐんと痩せて30キロ以上あった体重も25キロをきった。
触ると骨が浮き出ている。毛にも艶がなくなった。
目はどんよりとして、生気がない。

もうだめかもしれない。
そう思ってはいけない、と思いつつ、日に日に弱るぬうの姿に弱気になった。

「こんな無理やり食べさせて、無理に生きさせて、かわいそうやろうか」といいつつ、母は毎日、缶詰のフードのはいった注射器を手にしていた。

覚悟をし始めた頃、薬が効きだした。
12月の半ば。
食欲がでてきた。





耳の根元をきゅっとあげ、口もとをぐいと広げた期待に満ちた顔。
台所にやってくるようになった。
台所と食卓の間の通路の真ん中にじんどる。

夢中になりすぎて、思わずドン。
ぶつかる身体に力があった。

「まだなの?まだなの?}
身体ぜんぶで尋ねているぬう。
もう大丈夫。







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