御霊祭と春の雨、天使たちの滞在




長く続いた、お天気の日々。
ようやく恵みの雨。

土に水が染みこんで、ほおおおおとため息をつく声が聞こえるよう。

今晩は、雨と雷と稲光による饗宴。
電気を消して、空をみるとなんども走る光の筋に心躍る。

もちろん安全な室内だから楽しめるので、外にでもいようものなら・・・だけれども。


5月、御霊祭。

思いがけず死を迎えた人々の御霊が怨霊となって祟らないよう、鎮魂のために行われる御霊祭り。暑くなって疫病が増える時期に、守ってもらえるようにという意味も込めて。

春のふわふわした、体から魂がぬけだしていくような、そんな頃にこのお祭りがあるのも、地上に引き戻し、地に足つける作用もあるのかとも思う。


お稚児さんと馬上の人々を先導に、神輿が町内をまわり、夜7時頃神社に戻ってくる。夜店が立ち並び、人々が待ち構える境内で、なんども神輿を上げ下げして、掛け声を響かせる。渾身の力をこめて神輿をかつぐ

担ぎ手の熱気がもわっと立ち込めて、見守る人々のアドレナリンもぐっと上がる。

上御霊神社は、裏千家の氏神でもあるらしく、今日庵や千家のみなさん、淡交社のちょうちんがずらりと並んでいるのもなんだか楽しい。

長期にわたるお稽古の休みを何度か経て、今年ようやく?御茶名をいただく予定。

そんなこんなの節目の年。
来れて、よかった。
近所に住むお茶の友人と、とても久しぶりのアルコールを口にしながら思った。

こうして、から揚げと焼きそばをつまみ、上がり下がりする神輿がちょうちんの明かりに照らされているのを見ながら、おしゃべりに興じているこの場所で、都を移したばかりの桓武天皇の命を受けた名もなき人々が、一所懸命お社を建て、それが今も続いているのかと思うと、一瞬身体がとけていくような感覚にもとらわれる。


時を一瞬かけられたら・・・と。


しばらく遠ざかっていた雷がまた戻ってきた。雨の音が深くなる。


昨日まで、ホスティングエンジェル。
昨年、職場の同僚経由でやってきたお話、引っ越しやらなんやら心の余裕がなくて、そして多分にあやしさも感じて、お断りした。

そして、季節は巡って、再び別の友人からお話がきた。

今回は、すっと、受け入れた。
この辺りはとても不思議。

R.シュタイナーという神秘主義の名のもとにくくられる人の創立した人智学とそれに基づく教育に魅かれて、その周りをうろうろし始めて、もうすでに人生の半分が過ぎようとしている。

自分の中にたしかに根をおろしている世界観。
この存在を大っぴらに受け入れたら、何かにしばられてしまいそうな気がして、どこか足をつっぱっていた気がする。

 ちょうど怖がりのムウのように。

それが、どうやら、変わってきた模様。

いままで、両方の世界に足をかけて、どちらの地面をもしっかり踏みしめることなく、ぐらぐらしていた。
アイデンティティがきちんと確立していない心もとなさ。

どちらかに決めなければいけない、という強迫観念がどこかにあって、なのになかなか決められずにいた。

それが、ようやく、これでいこうと決めた。
たとえ中途半端になろうとも、二つの世界に足をかけたままでいること。
こんな簡単なことになんの決心がいるのかと思うけれど、
そんなものなのだろうか。

精一杯、自分の選んだ日常を生きること。
よいか、わるいか、ではなく、ただひたすら生き抜くこと。
安穏な状況であろうと、困難な状況であろうと、きっと変わらない。よりチャレンジングになるだろうけれど。

そんな心持の頃やってきてくれた天使たち。


彼らの滞在中はいろいろなことが起こるらしい。
人それぞれに。

私にとっても特別な、あたたかくてきれいで、穏やかで美しい5日間になった。

また、きてほしい。

あれやこれやのいろんな思いの最後に。




死者
天使


いろんなお客様が訪れる。

雨音と共に、雷が遠ざかっていく。







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