ゲーテアヌムの日々①

 
ドルナッハの冬~クリスマス劇~



スイスへ来て早3ヶ月がたって霜がおりる季節になりました。
人智学の中心地といえるゲーテアヌムでの時間は密度の濃いもので、日々出会うものを消化するのに精一杯、毎日追われるように過ごしてなかなか書く機会がありませんでした。
コースが休みに入ってようやく人心地ついています。あのいつもの問いも戻ってきました。
3ヶ月を振り返りつつ、ここでの生活を描いていきたいと思います。
 
11月のハイライトがシャルトル大聖堂への旅行なら、
12月のハイライトはなんといっても、クリスマス劇。
アート・スクールで絵の勉強しているアメリカ人のキースが、ヴァルドルフ学校で毎年教員によって行われるクリスマス劇を英語でやりたいとイニシアティブをとり、昨年から始まった英語でのクリスマス劇。

言語造形という言葉のリズム、調子、動きや形を限りなく意識し、言葉に命がやどらせる芸術に興味のある私はちょうどいい機会とばかりに参加することにしました。
 
クリスマス劇はシュタイナー学校の教員が毎年クリスマスの前に子どもたちのために上演するものです。ジョゼフとマリア、天使、スターシンガー、宿屋の主人が2人、羊飼いが4人という構成。前半はジョゼフとマリアが故郷のベツレヘムに戻る道中泊まるところがなく途方にくれる悲劇的な場面、後半は羊飼いたちの滑稽なやりとりと陽気な歌がある喜劇的な場面と2つに分かれ、最後にイエス・キリストの誕生を全員で祝うという構成です。


せっかく挑戦するのだからあまり長くなく、短すぎもしない役を探した末、キースの提案もあってマリア役に決まりました。基本的にはジョゼフについていくだけ、そんなに演技を頑張ることなく、なんとかなるだろうと思っていました。稽古の日は劇中で歌われるたくさんの歌の練習が主で、セリフを暗記することなく練習していたせいもあって、緊張感もあまりなかったのです。個人プロジェクトでも詩の朗唱をすることになっていたので、そちらの練習に時間をとられてもいました。

けれども11月も終わりになるとちょっとやばいかもと思い始め・・・。セリフもだけれど、マリアの雰囲気が未だに掴めていないことに気づいたのです。静かな役だから大きな動きがありません。演技しているのか、ただ立っているだけなのか。何か芯になるものがないとマリアにはなれません。


ある日この劇の主人公はマリアだよと言われて、セリフの多さで役の重要度を決めていた私の緊張度が一気にあがりました。考えてみれば当たり前で、クリスマス劇はイエス・キリストの誕生を描いているのです。そしてジョゼフとマリアの静かな存在感があるからこそ、羊飼いの楽しい演技も映えるのだということがようやくわかってきました。 


 フランスのシャルトル大聖堂への小旅行から帰れば、もう一週間で本番です。シャルトルへはバーゼルからパリ経由、電車で4時間。その道中、行きは同じく劇に参加する日本人のゆみこさんと一緒だったので二人で猛特訓しました。というより私の練習にゆみこさんが付き合ってくれたのですが。シャルトルに着いてからも、大聖堂での講義とその後の街の散策の疲れにも負けず、毎晩練習を繰り返しました。おかげでマリアのソロの歌とセリフはとりあえず頭にいれることができたのです。



シャルトルからの帰り、パリによったついでにルーブル美術館に行きました。二度目ですが、コースのディレクターであるバージニアと一緒だったので、シャルトルのようにはいかなかったけれど、少しばかり絵の講義を受けながら見ることができました。それだけで絵を見る目が変わるのが驚きです。以前北海道で美術史について少し学んだことも生きているようです。イタリアの絵画やエジプトの美術、そして彫刻を主に見て回りました。宝物の中を歩き回っているのだから、どれも印象的なのですが、やはり聖母子像や受胎告知、キリストの誕生場面、羊飼いの訪問を描いた絵画に特別心を惹かれました。そして美術館のショップでたくさんの絵葉書を買って帰ったのです。ドルナッハに戻ってすぐ、それらの絵葉書を部屋の窓辺にずらっと並べて飾りました。毎日眺められるように。






劇直前の1週間はほぼ毎日練習がありました。ゲーテアヌムの舞台を使うわけではなく、シュタイナーが亡くなる直前を過ごした建物の奥に引っ込んだ部屋を使います。観客は50人程はいれるでしょうか。小さな舞台はベツレヘムまで3歩といったところ。それでも大きなクリスマスツリーを伝統に従って飾り、ゆりかごをおき、そして衣装をつけると雰囲気が出てきました。


そして当日。劇は19時開演。満員のお客様です。1日目はやっぱり緊張しました。最初は結構うまくいって、調子いいぞと思っていたら、とたんやってきました。それも歌の途中に。頭が突然真っ白になって歌詞がでてこなくなったのです。何回もクリスマス劇を体験してきた仲間が小さく一緒にハミングしてくれてなんとか立ちなおりました。その動揺で続くセリフもしどろもどろになりましたが、これもジョゼフがプロンプトしてくれて切り抜けることができました。その後は気持ちが落ち着いて、セリフをとちることはなかったのですが、セリフにも歌にも緊張があらわれたものになりました。劇が終わったあとは緊張がきれて、ちょっと泣きそうになったほどです。フラットメイトたちがやってきてよかったよと言ってほっとさせてくれる一方、いたずら好きのアルメニア人ナリーンは、てっきり寝てしまったのだと思ったよ(マリアとジョゼフは羊飼いの場面の間も舞台上でずっと静かに座っていないといけない)とか、最後にGood nightっていうの忘れたでしょ、とからかってくれてようやく笑う余裕もでたのでした。




緊張していたのは私だけではありませんでした。百戦錬磨であるはずのアンシアやレベッカ、キースも普段に比べると精彩をかいていました。劇のあと、数人でお茶を飲みながら劇のことやら、それ以外のことやらについて真夜中近くまで話し込んだ間、(調子をはずしてしまった)あの歌~とレベッカが頭を抱えたときに、自分のセリフや失敗で頭が一杯だった私にもようやく他の人たちの気持ちが伝わったのでした。ああそうか、みんなそれぞれ気になるところがあるのだと。なんだ申し訳なくなって、それをいわないで~、となんといってもとちった度ナンバーワンの私も一緒に頭を抱えて、みんな大笑いしました。


そんな劇を救ったのが、最前列に座った2人の男の子たちでした。前半のジョゼフとマリアの受難の間は静かだった2人が、羊飼いの掛け合いが始まると大喜び。きっと彼らの緊張も解けたのでしょう。けらけらけらと天使のような笑い声を上げ始めたのです。それは会場に劇的な効果をもたらしました。


今も耳に残る男の子たちの笑い声のことを羊飼いの1人、イリ―に話していたとき、彼はピーターパンの作者もこのことを知っていたよね、と言いました。ジョニー・デップが主演した映画。ピーターパンを描いた劇作家バリーはその作品を愛した人の子供でもある、1人の男の子のために書いたのですが、作品を初めて上演した日、孤児院の子どもたちを招待しました。子供むけのレベルの低い話ではないかと身構えてきていた批評家をはじめとした大人たちが、子どもたちの笑い声に心をとかされ、すっかり劇の世界に入り込みました。私たちの場合、観客は最初からとても好意的だったけれど、役者の緊張と相まって、ぴんとはったような厳しい雰囲気のあった劇に、この笑い声のおかげで、さっと明るさと暖かみがさしこみました。


2日目は私も含めてみんなだいぶリラックスしていました。始まりの段階でもう違っていました。最後だ、精一杯やるぞという気持ちと、昨日と同じ失敗はしないぞという確信みたいなものがあって、劇がうまくいくことが予測できるようなそんな雰囲気でした。そして、実際大成功だったのです。役者たちも演じながらそれを感じ取って、ノッている状態だったし、それでいながら役になり切ってもいたのです。



私にとってのハイライトは、毎年クリスマス劇をみているという最前列に座っていたおじいさんが舞台裏にやってきて、劇をほめてくれ、中でも特に、「今日私は本当のマリアをみた、ちょっとした首の傾げ方、あるかないかの表情が、本物のマリアだった」とえらくマリアを気に入った様子だったことです。


ちょうど前日見に来てくれた知り合いに羊飼いに応えるときはもうちょっと表現を大きくしてもいいのではと言われたばかり。レベッカたちとの真夜中トークでどう思う?と聞いたところ、あのままですごくいいから変える必要はないといってくれて、心もち大きめに動いてみたものの、ほとんど変えなかった部分でした。レベッカたちがその時、あの時代の控え目で受け身的なマリアの表現は西洋人では無理なのかもと言っていた、同じことをおじいさんが言っている、とレベッカは(あのおじいさんの言ったこと)ちゃんと聞こえていた?としきりに私に合図するのでした。東洋人だからできる演技というのは私にとってもおもしろい考え方でした。





マリアのイメージは特にシャルトルへの旅中に成熟したと思います。ゆみこさんとの特訓、聖書そのものがつまったような大聖堂のステンドグラスや彫像を見ながら3日にわたって講義を受けたこと、ルーブルで様々な聖母の姿を心で感じながら見たこと・・・私の中で小さくマリアが息づき始めていました。それと同時に、マリアのたとえば贈り物をもってきてくれた羊飼いたちへの感謝に応える演技は、羊飼いを演じた3人の演技の中にあった心からの敬愛の気持ちに答えるものとして自然にでてきました。


2日にわたる劇の終わりはあっさりしたものでした。劇の終わった後、主催者であるキースがfoundation stoneの詩を朗唱し、彼に対しての感謝とお疲れ様の意味をこめたカードを渡しました。そして、ひとしきり楽屋を訪れた客たちと談笑し、みんなで現場の片づけをしました。その後、日本でなら当然あるはず?の打ち上げもなく、思い思いに残りの夜を過ごしに散ったのです。私は友達の誕生会に行きました。打ち上げがあったら少し遅くなるかもと言っておいたけれど、全然問題なくて。12時近くまで誕生会を楽しんだあと、まだまだ続く会を早めに辞したのでした。翌日朝早くイギリスに出発です!







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