嵐と共に



窓をうつ雨音。
風にゆれる木々。
台風が上陸して二日目。
子どものころは普段と違う空気にひそかな興奮を覚えた。
守られた家の中で自然の驚異にどきどきする。
絶対に安全だと確信しているからこそ、心がわく。

今は。
嵐がもたらすものに目がいく。
よいこと、悪いこと。
嵐が去った後、見えるものはなんだろう?

仕事を離れて1年と少し。
守られていたことを実感することが多々あった。
自分が何者かをはっきり言えなくなることは心細いことだ。
後悔がないといえばウソになるから、
全てをひっくるめて引き受けることしかできない。

そして懐かしい感覚。
いつか喜びとともに感じたあの気持ち。
全ては開かれている。
不可能なことは何もない。
また新しく始めることができる。
そんな夢を再び持つことができるのは幸せなことだと思う。


A rolling stone gathers no moss.
転石苔を生ぜず
時代に精通したなめらかな石ではない。
美しい苔に覆われた趣のある石でもない。
これといって目をひかない石には
ちょびっと着いた苔とあちこちの浅い傷やくぼみ。






見栄をはらず、
なげやりにならず、
ありのまま受け入れて
自分を新たに確立する。
それを目標に。





運命であろうと、自分でおこしたものであろうと、
嵐があらわすものは同じ。
精一杯生きているかどうか。
嵐を経験してなお、楽しんでいるか。
ためしている。ためされている。

Disce Gaudere
ローマの哲学者セネカ(Lucii Annaei Senecae) の言葉。
梨木香歩さんの本より。

晴れた日に心躍らせる。
嵐の日には吹き荒れる風と叩き付ける雨に顔をあげる。
どんな日にも光と闇はあるのだから。
光があってこその闇。
闇があってこその光。
だから世界は美しい。