スイスの友人



スイスの学生寮で暮したとき、
フラットメイトのアンジュリーと話していて、そうかと思ったことがある。

ちょうど私はスイスに着いたばかり、学校が始まる1月前だった。
オランダに住む友人を訪ねようと少し早目に来たのだが、彼女とスケジュールの調整がうまくできず、着いたばかりの1週間、所在なく過ごすことになった。

おかしなもので、友人との約束がなければ近隣の散策や小旅行を楽しめたのだろうが、どこか気持ちが入らない。すぐに切り替えられない自分にも嫌気がさして、ちょっと鬱々としていた朝。

共同で使うキッチンに入ると、ちょうどコーヒーを入れたばかりのアンジュリーが沢山つくったからどうとすすめてくれた。喜んで頂く。昨日買ったばかりのヨーグルトやパンをすすめて、一緒に朝食をとった。

アンジュリーはスイス人の父親とイギリス人の母親の間に生まれた28歳。長身で、ゆるくウェーブのかかった黒髪が腰まで届く。意志の強い瞳と柔らかな雰囲気をもつとてもッ魅力的な女性である。フラットに住んで3年。

食べながら互いの話をする。
高校までイギリスで過ごした彼女はバーゼルの美術学校でアートセラピーの資格をとり、近くのIta Wegman klinicでインターンをしたのち、今はモダンアートに興味を持ってビジュアルアートスクールに通っている。縁あってIta Wegman klinicでガーデニングの仕事をし、不定期に障害を持つ子どもの施設でアートのクラスを持っている。

私は教員をしていた話や南米に住んだ話をした。英語、ドイツ語に加えてフランス語やポルトガル語も少し話せるという彼女はスペイン語にも興味があり、語学の学習に関して話がはずんだ。また短期間アフリカでボランティアをしたことがあるということで、途上国の活動の仕方で話が盛り上がった。

アンジュリーのビジュアルアートの学校は後1年。その後、芸術活動を続けるか、アートセラピーの仕事をするか。自分の年齢にしては色々な経験をしてきたと思うけど、まだまだしたいことがある。落ち込むこともあるけれど、今の暮らしが気に入っていると微笑んだ。

抱えているもやもやの原因はただ単に友人とうまく予定があわなかったからだけではない、とわかっていたから、聞いてみた。どこかに就職しようとは思わないのか。ちょっと考え込むような目をしたアンジュリーは、名の知られた大きな病院や施設で働きたいと思ったことはないという。

友人の1人に大きな銀行に勤めている人がいる。1日にどれだけ大きなお金を動かしているか、そんな話ばかりをしていた。給料は信じられないような額で、高級な車に乗って、夜景の素晴らしい店で食事をする。でも話を聞いていても、魅力的に思えなかった。

両親は二人とも定職をもったことのない人たちで、フリーランスで様々な仕事をしていた。むしろ出来上がった組織に就職して、仕事に自分を合わせていかなければならないことが怖いのかもしれない。自分で作りあげていくことのできる範囲で仕事をしていきたいと思う。

今は稼いでいるお金と、学費や生活に必要なお金がほぼ同じで、貯蓄をすることはできない。それでも節約すれば旅行にもいける。贅沢をしたいと思ったことはないし、必要なものは買うより自分で少しずつ作っていきたいと思っている。

フラットのキッチンには水の入った空き瓶が6つくらい並ぶ。1つ1つに爪楊枝をさしたアボガドの種が入っている。根がでているものもあれば、すでに最初の茎が伸びて葉が開いているものもある。キッチン脇のベランダにはトマトの苗。パンにつけるように出してくれた苺のジャムは手作りだ。

自室に持ち込んでいる大きな机はガレージセールで見つけたものにやすりをかけた。備え付けのシンプルな食器のなか、趣のある陶製の器はアンジュリーが作ったものだ。食器としてなら好きなときに使ってくれてかまわないという。前にいたフラットメイトが植木鉢にしたことがあったのよ。さすがにそれはやめてもらったわと笑う。

初めてそのような考え方を聞いたわけではないし、初めてそんな人に出会ったわけでもない。アンジュリーの言葉にはっとしたのは、たぶんそのような生き方を当然のものとして育った人間の、その当り前さのせいだろう。そしてはっとしている自分にはっとする。

身についた考え方を変えるということは簡単なようで難しい。
アンジュリーの生き方とその友人の銀行員の生き方。
心から共鳴するのはアンジュリーの価値観なのに、自分の行動と考え方の元になっているのは友人の価値観なのだなと思う。

自分の価値観。
それにどれだけ意識的になれるか。
世間一般の考えでもなく、えらい人の考えでもなく、親友の考えでもない。
拠り所は自分。
自分自身の価値観が生活になるように。