大人の人見知り①



「私、人見知りする方なんです。」
もしくは、
「昔は人見知りだったんですよ。」
という人は案外多い。
私もそのうちの一人。

もともとは生後6か月くらいに赤ちゃんが見慣れない顔や知らない場所を嫌がって、泣いたり、顔をそむけたり、母親にしがみついて離れなかったりすることを意味する言葉である。1歳くらいで消える場合がほとんどだけれど、2、3年続く場合もあるという。

ある程度の年齢に達した大人が人見知りだと自分を評するのはどういう場合なのだろう。

人見知りだという人々のなかに、本当にそうだなと思う人と、この人が自分は人見知りと言うなら人間みな人見知りだと思うような人までいる。主観的な要素が強い。

人見知りだ、と前置きをするのは、甘えだという人もいる。
実際自分の話術やコミュニケーション力に自信がないときに言うことがほとんどだからそうなのかもしれないと思う。
おてやわらかに、という伏線である。

内向的、話下手、寡黙、暗い、繊細、怖がり、恥ずかしがり。
自意識過剰、内弁慶、コミュニケーション力不足。
「人見知り」という言葉から連想する語をあげてみる。
良い風にとれないこともない言葉もあるけれど、たいていは否定的意味合いが強い。

人見知りには二種類あると思う。
環境によるものと本人の性格によるものと。
もちろんこの二つは密接に関わりあっていて、分けるのが難しいこともあるし、環境も多種多様。一概にはいえないのだけれど。


でも、例えば下町で育った子どもは家族以外の人達、隣の八百屋さんのおじさんや美容院のお姉さん、向いの家のおばあちゃんなど日々大勢の人に会って、声をかけてもらえるから、自然人懐っこくなるという。

一方でそうした下町の文化になじめない子どももいるかもしれない。毎日周りの大人に愛想よくしなければならないことを苦痛に感じる子もいるのかもしれない。

性格がもともと人懐っこい性格が環境によってますます育てられたり、人見知りな性格でも環境から社交性を身につけたりする場合もある。逆に周りと関わらざるをえない環境になじめなかったり、嫌な思いをすることによって、もともと人見知りな性格がよけいに内向的になったり、人見知りするほうではなくても、どこか人に対して警戒心を持つようになったりすることもあるだろう。

では、人に出会わない、静かな環境で育ったらどうだろう。

一人っ子の核家族、専業主婦のお母さんに育てられたからよその人に会うのは幼稚園くらい、という子どもでも、お母さんとの対話を深めて、対話することに抵抗感を持たず、自分から人に話しかけて、積極的に友達を作っていく子もいる。

そして、普段話す相手があまりいないうえ、外遊びはそれほど好きでないからゲームなど一人遊びが多くなり、ますます無口に、閉じこもりがちになっていく子もいるだろう。

もともと人懐っこい子どもはなんだかんだと機会を見つけて、話をする相手を見つけるかもしれないし、逆に人に会うことがないことから性格が内向的になっていくかもしれない。もともと人見知りなうえ、人と会うことが少ない環境だと、コミュニケーションをとる力を育てることはむずかしいのだろう。

けれども人見知りな性格、かつ人と出会わない環境で育っても、1人の時間に好きなことに打ち込み、数少なくとも周りの人間がそれをサポートしたなら、確固とした自分を確立し、人見知りではあっても人とつながる術をみにつけているかもしれない。

こんな風に考えると、性格、環境に加えて、自己のアイデンティティも人見知りに関わってくるような気がする。大人になってから、人見知りに悩むのはこのせいかもしれないなと思う。