ゲーテアヌムの日々②

フランスを抜けてイギリスへ~先生たちのクリスマス




クリスマス劇の翌日、スイス・バーゼルからフランス・ストラスブールのクリスマス市によって、一直線カレーの港に向かいました。

前日寝たのが朝3時すぎ。迎えにくる予定の友人にもし玄関にいなかったら、寝ちゃってるからおこしてね、と冗談をいい、おいていくわよと一蹴されたのが・・・正夢に。ちゃらんちゃらんとフラットの鈴がなるのを聞いて飛び起きると約束の8時半をすこし回っていました。飛び起きて平謝り。この日に限って目覚ましが鳴らないなんて。キッチンで地図みて待ってるから問題ないという友人。荷造りができていたのが幸いでした。時々こういう大ポカをしてしまいます;1人で運転しなければならない友人にせっせとお菓子をすすめ、今季コーラスのクラスで習った歌を歌いつつ、フランス横断を楽しみました。

ストラスブールはアルザス地方の中心都市。豊かなこの土地はフランスとドイツの領土争いの犠牲となって翻弄された場所でもあります。昔読んだ「最後の授業」という話を思い出しました。ある日少年が学校に遅刻していくと、いつもなら烈火のごとく怒るはずの先生が静かに座らせ、今日が最後のフランス語の授業だと、心を籠めてフランス語の美しさを語るというもの。教室の後ろには帽子をとった大人達もたっている。そんな話です。もともとアルザスに住む人々はドイツ語系の人々。結局は支配者の側に立つ人間の観点でかかれた話だと批判もされ、その通りでもあるのだけれど、言葉をめぐるアイデンティティの問題を描いた作品として心に残っている作品です。

同じように心に残っているのが、マリー・キュリーの子供の頃の話。ロシアに侵攻されたポーランドの学校で勉強するマリーの学校は不思議な制度があって、ベルが鳴るとみな一斉に秘密の場所に教科書を隠し、裁縫道具を取り出してせっせと縫物をします。やがてロシア人の視察官が教室にやってきて、先生に誰か生徒を立たせて質問に答えるようにいいます。指名されるのはロシア語の得意なマリーでした。全ての質問に正確なロシア語で答えるマリーに視察官は満足して去ります。やりきれない気持ちでいるマリーをそっと抱きしめて先生がお礼を言います。そんなシーン。マリー・キュリー夫人が優秀であったことを示すエピソードだけれど、彼女が生きた時代を感じました。

さて、現在のアルザスはフランス領で、一時強い同化政策がとられたため、若者の中にはアルザス語を話せない人も多いといいます。不思議なことに、今私がいる小さなコースの仲間たちはアルザスの人々のようなマイノリティーとしてのアイデンティティを強く持つ人が多いのです。ロシア語に堪能でありながら、嫌悪感を示すアルメニア人のナリーン。スペイン、バスク地方出身でバスク語が母国語というマリア。カナダのケベック出身で、自己紹介の時に決してカナダ出身とは言わないクロード。どこの土地に生ま育って、どのようなルーツを持って、家族などんな考え方をしていて、家で、学校で何語を話すか・・・そんなこんながみんな私たちを作りあげているけれど、最終的には全てを超えて、自分が何を自分のものとして選び取るのか、なのだろうと思います。

今は同化政策も和らぎ、バイリンガルの町として、他のフランスの地域と比べても暮らし向きのよいストラスブール。たくさんのEUの機関が本部を据えています。クリスマス市には地元の食品やお土産、クリスマス向けの小物を売るスタンドの他に各国から来た人々が出すスタンドもたくさんでした。アルザス地方の名物クグロフやショウガケーキと並んでリトアニアの人達が作った甘いフルーツとチョコレートのシロップが売られていたりします。

そんなストラスブールを後にしたのが13時。なだらかな低地をひたすら走りましす。少しゆっくりしすぎました。7時間あまりのドライブで立ち寄ったのはシャンパンの町だけ。もちろんシャンパンを買いに♪ 19時半、無事カレー港に到着しました。入国審査をここで済ませます。フレンドリーな入国審査官がいいクリスマスを!と声をかけてくれたのを後に、フェリーに乗り込みました。とはいえ、クリスマスまでまだ間のある時期。船はとてもすいていて、一等ラウンジも使い放題だったのに、結構な風と小雨にも関わらず、長距離トラックのおじさんたちがたばこを吸うデッキの片隅に座って、友人と今までで一番しんどかった旅の話を延々としたのでした。





雨と風と暗闇で何も見えないけれど、私にとってこのドーバー海峡への思いはアーサー・ランサム作、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの6作め、「海へでるつもりじゃなかった」にあります。

海軍にいる父を訪ねてピンミルにやってきたウォーカー兄妹。お父さんが到着するまでの間、アマゾン号の友人ナンシイとぺギイのおじさんジム船長の船に泊まらせてもらいます。翌日から帆走の仕方を教わるはずだったのが、その夜上げ潮に船が流されてしまいます。濃い霧と激しい風の中、一番年上のジョンは船を守るために沖へでることを決意します。お父さんだったらどうするだろうと考え、お母さんとの海には出ないという約束と板挟みで苦しみながら、自分の決断を下し、ツバメ号で培った技術を駆使して、弟妹と協力して難局を乗り切ります。

そして夜が明けてみるとなんとオランダに来ていたのです。その頃に、湾に入るためには水先案内人と連絡をとって、先導してもらう必要がありました。子供だけだと悟られないようにする子供たちの努力。最終的に子供だけだとわかった後、水先案内人はあの嵐の中を無事航海してきたジョンを立派な船長だと認めるのでした。ちょうどそのとき、イギリスへ戻る船に乗り込もうとする父親を見つけてめでたしとなるのですが、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの中で私が一番好きな作品でした。カレーとドーバー間。航路はちょっと違うけれど、それぞれの葛藤を抱えて嵐の海を渡った兄妹に想いを馳せました。

ドーバーに着いたのは21時半でした。
さらに30分、カンタベリー郊外の友人宅についたのは22時を回っていました。「ヨウコソ」と片言で迎えてくれたのは友人のルームメートのリチャード。暖かなスープのいい匂いが玄関まで漂ってきていました。

翌日はさっそくカンタベリーにあるシュタイナー学校のクリスマス劇のリハーサルを見に行きました。忙しい学期末に先生たちが練習の時間をとるのは難しいのでしょう、本番二日前のリハーサルはまだぎこちなくて、特に初めて参加する先生たちがセリフに苦労しているのが見て取れました。なんだか私たちの劇を見ているようで親近感がわきました。けれども、やっぱり本番は演劇の神様がおりてきます。さすがの迫力でした。私たちのクリスマス劇と歌が少し違うのが新鮮でした。そして、私には何よりマリアをみれたことが一番うれしいことでした。マリア役は新任の先生が恒例で演じることになっているそうですが、目の病気になって出演できなくなったため、急きょベテランの先生が代役にたったそうです。監督も兼ねて、まだ慣れていない先生たちのフォローもしながら堂々とマリアを演じていました。劇を見る子供たちは近づいてくるクリスマスへの期待を全身ににじませ、時に身を乗り出して、時にお互いをこづきあってふざけたりしながら、楽しんでいました。普段から知っている先生たちからの劇の贈り物は格別だろうと思います。
 

上記を書いたのは12月末。いつの間にか3月。すっかりご無沙汰しました。新しい劇がまた動き始め、クリスマス劇本番のあのなんともいえない特別な時間を懐かしく思い出した今日。せっかく書いたものをアップすることにしました。次回の劇は野外での上演になりそうです。これからが楽しみです!




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