「言語造形」と演劇~中秋の日々~

ちゅちゅちゅちゅ
ちゅちゅちゅちゅ
ちゅちゅちゅちゅちゅん

せわしなく鳴いて飛びまわる小さな鳥。

逆光で見えなくて、目をこらす。

すぐそばにもう一羽。
鳴きかわす声。

足元にふわっとしたものが触れる。
ムーがしっかり身を低くして、見上げていた。


仕事をやめて、出会ったものの一つに「言語造形」と演劇がある。

やめてすぐ飛んだ北海道で出会い、スイスで続けた。

クリスマスの生誕劇でマリアを、
野外の舞台で『夏の夜の夢』の一部を上演したときに妖精役をさせてもらった。




そして今も続けている。どころか、テーマになっている。

「言語」について読んで、書いて、まとめて。

大分では王様に、そして虫と鼠の苦手なかあさまになった。


「言語造形」って何?

ほんとになんなんだろう。

スイスのお師匠さんがいったことがある。
人と人がいて、その間に空間がある。
そこに言葉がある、と。
うろ覚えだけれど、そのときの手つきを鮮明に覚えている。

人から人へ発せられ、
人から世界へ発せられるもの。

人と人をつなぎ、
人と世界をつなぎ、
人をかたち作るもの。

世界を創りだすもの。


二年ぶりのヨーロッパから戻って、一ヶ月あまり。

持ち歩いたパソコンに打ち込んできた覚え書をあげようと思いつつ、
あっという間に中秋の名月すらも過ぎて。

帰ってから、仕事に大分の講座にとわらわらしつつ、
この日のためにと、準備してきた発表。そこでおおコケ。

その夜はふとんの中でばたばた、でも朝からの仕事の疲れも重なってすぐ寝てしまった。
翌日久しぶりの友人たちとの集まり。ちょっと重い体を連れて出かける。

そしたらやっぱり大正解。来た人たちと言葉をかわすなかで、
たぶんきっともっともっと引きずったであろうことを、
すんなりと自分のなかに落とせた。

人生は学びだとはいうけれど、10代以来繰り返してきたことをいまだにやってしまうのは、
やっぱりこれが課題だからだろうなあと。

そして、自分の方向性が間違っていないことも改めて確認。
でもまだ取り組みがたりないぞっていう叱咤激励。

もうコケたくはないけれど、それでも次は何が起こるんだろうっていうわくわく感はとまらない。

言葉と向き合っていくこと、
もっともっと言葉に近づくこと。
子どものときから、ずっとずっとお世話になってきた言葉にお返しをすること。

言葉に力をそそぐ。
そのために足を動かす。
動きを言葉に取り戻す。

言語を形づくる。




わが心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらん 
藤原俊成



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